原理主義

たぶん僕は原理主義者なんだと思う。

今日仕事に打ち込んでいて、ふとそんな風に考えていた。昨日、今日と膨大な量のデータと向き合って数字との対話を重ねる。この蓄積されたデータは、予め、統計に基づいて分析される用途として整理されていなかったので、僕の手腕の見せ所であると、僕は気合いが入った。

そして今晩、検証結果をレポートにまとめて顧客にプレゼントメール。改めて、パワポに走り書きした最低限の体裁の資料に目を通し、さすが俺と心ん中でガッツポーズw。誰もいない顧客のオフィスで1人でニヤける。

たぶん、たぶんだが、一定以上のマーケターは売上という金額ベースのものに執着しないのではないかと思う。集中力をそこに割く余裕が少なくとも僕には無い。では、どこに集中力を傾けるのかというと、売上を構成する主要素。KPIと呼ばれるものではないか。売上は結果論で、その結果を導くためのプロセスに幾つも散在する指標の数々を僕は注意深く見て、数字の息遣いみたいなものを読み解く。その過程で浮かび上がってくる像を僕は目を凝らして見つめるのである。売上を上げるために、何の数字を引き上げなければならないのか、起こしたアクション、狙ったアクションの通りに数字は変化したのか、そういう事を注意深く見る。数字が変われば結果は変わる。結果、売上はどうよ?って具合だ。

良い結果も悪い結果も、必ずそこには因果の存在があると信じてやまない。そういう原理に焦点を充てて、結果をコントロールする試みは、僕を時々盲目になるほどに魅了する。まるで身体中がドーパミンで満たされるかのように。

エクセルのシートに並ぶ数字の数々が、僕にとって満天の星空のように見えることがよくある。あぁ、僕はどこまでも数字を愛してるんだなって、思う瞬間である。その数字のパズルが組みあがった時、僕は筆舌尽くしがたい達成感に満たされるのであった。

どんな仕事であっても、きっと数字は何かの役に立ってくれると僕は思う。若人よ、数字をこよなく愛するデジタルモンキーズたれ!

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