合理主義闘争

久し振りに不眠症が発症している。先週の余暇の煽りか…。はたまた中年という老いの予兆か。最近眠りも浅く感じ、時折、夢を見る。記憶に残るのは大抵夢見の悪いヤツばかりで、いい夢だった試しはない。まぁ、悪い夢だから、覚めるのかもしれないが。笑

昨日から取引先ヘッドオフィスにおいて朝礼を開始した。発起人は僕だから、昨日は僕が中心になって朝礼での進行役並びに語り手となった。今日からは取引先主体にスイッチングするのだが、発起人の僕が行かないと朝礼行事は一度っきりでハイお終いという事態にもなりかねない。「できない、やらないなら、やらなきゃいいのに…。」という雰囲気に社内は包まれるから、何としても僕は行かねばならないのだが、よりによって今まさに不眠症だなんて!

ちなみに、将来、この朝礼という儀式は存続し続けるだろうか?なんて事を考えてみる。リアル店舗では、きっとあり続けるだろう。顧客ニーズに合わせる同時性の問題を店舗は抱えているから営業時間という供給調整が需要に合わせた形で行われるのは間違いない。一方でオフィスワークはどうだろう?特に企画系職員。チームで活動する以上、コアタイムが有ってしかるべきという議論が存在するが、本当にそうなのか?そもそも、会社に必ずしも出勤する必要性があるのか?

今の僕のように不眠症なら、日が昇るまでミッチリ今日の分まで仕事をすればいい。実質的に週40時間分の働きをすれば週2日でもいい。なのに人々は法で縛ろうとする。それを不毛だと思う。もはや、週40時間制なんて企画職には時代遅れだ。医療が発達し、長生きできる社会というのは、それだけメンテが効くわけで勤続期間だけが伸長されて、週あたりの労働時間だけは固定化されたままというのは、どうもおかしな話にも思える。州45時間制でいいから、60歳でキッチリ引退してもいいんじゃないかな。かくいう僕は、月間労働時間という概念で捉えるなら、今年は平均で月300時間オーバーだ。笑

人の集中力は長続きしないという視座に立脚すれば短時間複数日の分散投資になる。一方で、早期立上げによる先行者利益という視座に立脚すれば、長時間少数日の集中投資になる。どちらも合理的な考え方だ。短距離走と長距離走では走り方が違うし、鍛え方も異なる。向き不向きもあるだろう。

従って、合理主義闘争はエンドレスなのだ。合理主義者の集団があったとして、そのメンバー個々が必ずしも意見を合致させるわけじゃない。山の登り方は人それぞれなのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です