無難なこと

周囲の人達から嫌われないための指示や議論に何の意味があらんや。

今日はそんな事を考えていました。指示を出し、時間の多くを割いた活動が瓦解し、易きに流れる様を見て取って、そんな想いがふつふつと湧いてくるのである。周りからよく思われたい等という事を、多くの人はたぶん考えてもいないと僕は考えている。多くの人が考えるのは、たぶん、事なかれ主義、誤った平和主義ではなかろうか。無難なこと。

失敗を恐れない、リスクを冒せ、とは言うものの何がリスクなのかもぼんやりしていて、上手く伝わらない。安全な立ち位置に留まることがなぜリスクなのかは、平穏な日常生活を送っていると鼻も効かなくなってくるものだ。失敗が糧となること、未知が既知に変わる時、その瞬間から自らが成長している実感というものを手にし、背中を誰かに押される感覚を持つようになる。

そして、次第に失敗する事に動じない。むしろ、失敗ありきで物事を考える思考が芽生えるのではなかろうか。

誰かのために行う事に意味があり、その結果は、過程ほど重要ではないのだと僕は思う。

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