毅然

経営を考える時の判断基準とは何か?

株式会社などの営利目的事業会社においては、ROE(自己資本利益率)の最大化が企業価値を高める指標として一般的であろう。すなわち、分子である純利益を大きくし、自己資本の額を悪戯に高めない資本効率性という考え方はあろう。

利益 = 売上 – コスト

であるから、売上を上げることと運営コストを下げることの両建てで経営というものをマネジメントすることが、その主たる職務の範囲というものが経営の存在意義と解す。

本日、ちょっとした用事で取引先の一つの事業所を訪れ、人の多さに驚く。明らかな供給過剰…。百歩譲って、ルーキーの育成だったのかもしれない。もしくは、たまたま今日だけそのような誤った勤務シフトが組まれたのかもしれない。僕は咄嗟に色眼鏡をかけてみるも、その片鱗は影も形もない。

一人一人は、たぶん、人の過剰感に気づいているはずである。しかし、誰も声をあげない。そして、その事が組織に腐敗をもたらし、無秩序で独善的な自治を生むのではないか。だから、誰かが「それはアカンやろ?」って、毅然とした声を上げなければ永続性というものが担保されないのでは無いかと僕は考えるのである。

周りと歩調を合わせる事は易しく、異を唱えることは難しく勇気のいることだ。それゆえに、リーダーたる者は、今ここに在る己が存在意義というものを問い、その使命に満ちた気概を持って拳を突き上げ、声を大にして叫ばなければならないのではないか。そうする姿勢を人は毅然と呼ぶのではなかろうか。

経営や営業のテクニックなんかよりも、気持ちというのは、何より最優先される資質だと僕は思うのである。

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