忙殺への抵抗

もう何ヶ月も忙しくしている。忙しくなればなるほど、集中力が高まり、より効率的になろうとする事で、仕事の仕分けが促進されて、業務量は最適化される。

それが忙殺への抵抗。

人を足したことでどうにかなるような仕事ならまだしも、便利屋家業というものはさにあらず。誰にでもできるような仕事ではなく、代替の効かないサービスを提供してこそ、社会的に価値のある仕事と言えるのだろう。すなわち、アーキテクチャー(設計師)やエンジニア(技師)と呼ばれる職業に近いかもしれない。自らが組織のコア・プログラムの一部として機能してみせ、組織メカニズムにおける瑕疵や障害といったものを修正するアップデートを施し、組織全体の機構や統治が一定水準に達したところでテイク・オフ!

問題は、「いつ手放すのか?」である。60点なのか、80点なのか、90点なのか…。忙殺という環境下に置かれて、いよいよ人はどれかを手放す選択に迫られる。忙殺に抵抗する唯一の術は、人を抱えて手中にいつまでも仕事を置くことではなく、誰かに仕事を託すこと。

なぜ、人を足し、仕事を自ら抱えてはいけないのか。それは、自らを繁忙に追いやった原因の一つだからである。その状態を放置させ続けることを人は忙殺と呼ぶ。心亡くし、人として死に等しい状態。所詮、お手玉を宙に浮かせていられる数には限界がある。新しいお手玉を加えようと考えたならば、古いお手玉のどれかを誰かに手渡さなければならない。

全ての仕事を放棄するわけではない。数ある中で、自らがやるべき仕事が何かを取捨選択すること。そうする事で、部下が育ち、自らがより高い仕事を提供する。結果、組織ピラミッドが上方向にビルドアップされていくのである。組織の拡大は、下からの流入ではなく、上へ、上へとより高い仕事を求める、志によるところが大きいのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です