好奇心

組織を強くするものとは何か?

この問いに対する答えには実に様々なものがあるし、その回答は多くの場合で、たぶん、間違っていないだろう。戦略、人、社風、まぁ色々だ。例えば、マッキンゼーの7S辺りなんかはフレームワークとして有名だろう。

当社においても、この事は常に考えられている。特に長期的な時間軸の中で育まなければいけない人の問題というのは、大変重要なテーマだ。どんな人を採用するか、採用した人をどのように育てるのか、そして、採用した人々にどのようにして報いるのか等、様々なアプローチがある。

社員にとって幸か不幸か、僕にはまだ分からないけど、あまり研修なんてものはしない。せいぜい入社時にオリエンテーションの時間を設けて、最低限の社内的なルール、僕の考え、そして、就業規則の読み合わせをするくらいだろうか。あとは雑談の中で何かしら伝えたいことを伝えるくらいなもんだ。

教育に時間を注ぐのは、相手がどれだけそれを求めているかを僕は僕なりに推し量っていて、来るもの拒まず、去るもの追わずの精神で教育というものに時間を割いている。僕の時間は有限だ。だから、興味がない事を教えようとも思わないし、そのことに対して怒りも湧かない。互いに時間を浪費する事は、罪な話だ。

社会人としてお金を稼ぎ始めたら、それはもう生存競争というサバイバルなのだ。生きることに執着しない人に手を貸すほど、僕は人ができていない。だから、任せた仕事をやってくれる限りにおいて、それ以上を求める必要もない。ただ、会社のことを考えて行動してくれる人というのは、重宝しなければいけない。つまり、教えなきゃいけない。それが親の務めだ。

つまり、大事なことは好奇心。

社員の誰もが、同じことに興味や関心を持つとは限らないし、僕の思考を恩着せがましく、教え伝えるというのは、何なんだかなぁ〜。だから、僕は役に立つかもよ、っていう本はよく配布する。読むか読まないかは人の自由だ。ツマラナイと感じたならば、その本は、その人にとって価値のないものだったのだろう。それを悲しいとも思わないし、そのことに対して憤ることもない。

学びたければ、今の時代は様々なことにアクセスできるのだから、わざわざ、顔を合わせて教えを乞うなんてナンセンスだ。僕らは限られた時間を大切にしなければならない。だから、楽しいこと、興味のあることに最大限の時間を費やすべきである。それが技術獲得の近道だと僕は思う。

その対象が、簿記であれ、法律であれ、情報システムであれ、営業やマーケティングといったことであれ、きっとそれは、いつかきっと自分のためになると信じてやまない。好奇心が芽生えないということは、それは生きていない証左だ。

inputがあり、はじめてoutputがある。無からは何も生まれないのである。社会に何かを提供することで、対価が得られる。何かを提供しようと思うなら、まず自分が何を得意としているのか、何をしたいのかを知らなければいけない。そのためには、その対象に心踊るか否かを自問自答することである。好奇心は、ただそれだけで価値あるものなのだ。行動するエネルギーの源、それが好奇心である。

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