覚悟

人の能力を推し量る一つの計測法として、どれだけの修羅場をくぐって来たか、という視点がある。そういう苦労を積み重ねて来た者のみに宿るのが精神の胆力なのだろう。

この数週間、人の進退に関わる場に立ち会うことが多かった。そこで僕の目に映ったのは、その覚悟の違いにあるように思われた。人は未知に恐怖する。それは、これまで僕らが答えのある問いばかりを教わり、解いて来たからなのか、人は未知に対して耐性を持たない。それゆえ、自らの踏み入れた事のない未来に恐怖する。

結局、これまで何回くらい腹括ってきたかで、その人の度量というものが推し量れる。

今の地位、今ある名誉、保証された生活、そういったものを失う恐れとの対峙。そして、留まることを選択する人、進むべき道は限られているのだが、有るはずもない新たな道を懸命に探そうと足掻く人、そして、思考を停止する人。

どんな時代が訪れようとも、生きようとする事を諦めず、どのような未来にも備えること。そういう日々の鍛錬が、精神を鍛え、覚悟というものが備わるように思う。たとえそれが、どんな苦境の日々であったとしても、近未来は必ず明るいと自らの力を過信ではなく等身大に見つめて、描けるか否か。

若いうちは苦労を買ってでもすることの意義は、そういった将来の不確実性というものに対し、目の前の事象を冷静沈着に推し量るだけの目利きを与える精神安定剤なのだろう。あの頃に比べれば、今目の前にある難局は大したことはない、または、きっとまた乗り越えられる、そういった自信の源泉。己が信念に従って、まっすぐ行動することができるのは、過去のそのような鍛錬の賜物である、と僕は考えるのである。

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