大阪都構想の住民投票が11月1日(日)大阪市で行われ、反対確実の速報が先程流れた。報道によれば、10代および30〜50代は賛成が過半数を占め、20代および60,70代以上で反対が過半数を占める構図となり、特に投票の約1/3を占める高齢者層が反対に回ったことが、この僅差の接戦の明暗を分けたようだ。
僕自身は、この住民投票において賛否を申し上げる立場にないため、自身がどのように考えるかはさておき、都市行政というものについて日本国民の多くがどう考えるか、問題提起をする良い機会であったのではないかと考える。例えば、今回の住民投票の争点は大阪府と大阪市の二重行政の無駄を無くすこと、及び、これに伴う行政サービスの質の低下について、議論が尽くされ、有権者による投票が行われた。前回の知事・市長W選で大阪維新の会に地域行政を託した府市民の決定は、奇しくも、市民の選択は都構想にあらずという結果を今回突きつけており、ここまでの大阪維新の会の実績は認めつつも未来はそうじゃないという結論を見たように考える。つまり、ここまでの流れを読み解くと、大阪府と大阪市の二重行政の無駄には一定の理解を示しつつも、大阪維新の会による知事と市長の高度な連携による行政の効率化といった、緩やかな行政改革ならぬ改善を示しているように思える。
歴史にifはタブーだが、もし、大阪都構想について賛成が上回っていたとするならば、未来はどのように変わっていただろうか。本当の意味で変化を実感するのは、5年後か、はたまた、10年後、いや、20年後や30年後かもしれない。その時には、今回の住民投票において反対に回った高齢者層の多くが不在というのも民主主義システムの一面を表している。個を優先するあまり、全体最適性を失う合成の誤謬が見え隠れするように思う。
我が国における人口減少が確実な未来において、未だ歯止めのかからない少子高齢化という大きな問題の中で、グローバルな都市競争をどのように生き抜くか議論は待ったなしである。大阪都構想には反対だが、東京一極集中はけしからん。都民からすれば、笑止千万と切って捨てるに違いない。それもまた民主主義なのだから。そして、このような社会メカニズムの弊害がこの国を弱体化させていくのではなかろうかと僕は憂う。そんな僕もまた、個を優先させる一人であるから、今ある自分は過去の幾つもの選択をしてきた自らと解し、世界と勝負するだけの力というものを養うことで未来に備えたいと考えている。東京であれ、大阪であれ、今後、ボーダーレス化がますます進み、自らの居住地は自らが決める時代が訪れる可能性がある。ただ、そこに備えるのが個人でできる対策と言えよう。
そうして生まれ故郷である、大阪を、そして、この国を後にする事になったとしても、それもまた運命なのかもしれない。できることなら、今を耐え忍び、明るい未来を構築する事を多くの国民が選択し、この国を、この国の幾つもの都市が、競争力を養って、より高度な発展を遂げて欲しいと切に願う。では、そのために必要な要素とは何かと言えば、より強力な指導者が必要なのではないかと僕は考える。