美学

技術を売るということを生業にするのは、それすなわち美学である。一つの完成品を納品するために、どのような完成物を、いつまでに、いくらで、どういうプロセスで、顧客に届けるのかという技であり、それを職人芸と言うのだろう。そして、それを為すのは人ゆえのハートの部分が大きく関与していて、それを美学と人は呼ぶのだと僕は解釈している。

今日は職場のメンバーと僅かな時間であるが、現場で共に時間を過ごした。そして、納期に間に合わせるため少しの残業をして、仕事終わりに数分のフィードバックを僕はした。「現場は、いつも綺麗にせよ。」と。デジタルモンキーズの現場へのこだわり、そういう価値観を大事にしたいという創業者、経営者の想いというものを言葉にして、一人一人の心に届けることは僕の大事な仕事の一つである。

目を瞑ることは容易いが、目を瞑ってばかりでは、人は道を見失う。声を掛け合い、今の地点と目指す場所をしっかりと線で結んで、僕ら一行が道を踏み外さぬよう、路頭に迷わぬよう、僕らが僕らであるよう言い聞かせる。現場が綺麗に保たれているからといって、再受注があるわけではない。しかし、現場が荒んでいる状態が顧客に不安を駆り立て、二度と注文しないと決断させることや、新たなパートナーの検討に入らせることは十分にあり得る。

では、現場を綺麗に保つということは、防衛のための一手段に過ぎないのかと言うと、決してそうとは限らない。デジタルモンキーズ一人一人の綺麗にするという心構えが所作に宿り、完成に向けたプロセスがより高いレベルに昇華されていくと信じてやまない。結果、一つ一つが微妙に差別化され、デジタルモンキーズが提供するサービスに気持ちが入ってくる。それは時々顧客の心の琴線に触れ、魅了する。そういう領域に僕らは突き進んで行かなければいけないし、そういう気持ちをいつまでも大事にしていたい。

だから、飽くなき美学の追究は止まない。その探究心の灯火を消してしまったら、僕らの人生は今にも色褪せてしまうのではなかろうか?たとえ年老いようと、いつまでも気持ちは少年のままに無限の好奇心を大事にしていたいと僕は思うのです。

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