泣こうが、喚こうが、叫ぼうが、僕らは一回きりの人生しか送れない。
そんな人生の中で、仕事に費やす時間というのは、非常に大きなシェアを持っている。多くの場合、0歳から18~22歳頃まで、学生時代を過ごす。物心がつく時期、または、意思の赴くままに行動の制約が概ね開放されるという点では10歳前後からかで、およそ10年間くらいのスパンがあるだろうか。そして社会人になり、20歳前後から今だと65歳くらい?その間、実に45年、何かの仕事に従事する。そして、老齢期というのが適切かどうかは別として、65~80歳の約15年間。
人生の中で仕事に費やす時間を45/70年というのは、いささか乱暴か。仮に実働8時間、就業時間の拘束や通勤時間を含めれば、1日あたり11時間で1週間は5日勤務とすれば、55時間/weekということになる。1日8時間睡眠を得るのであれば、56時間/weekは確保しなければ行けないから、(168h – (睡眠)56h – (労働)55h ) / week = (可処分時間)57h/week ということだ。更に付け加えるならば、ご飯を食べたり、家事をしたり、風呂に入ったり、容姿を整える時間があって少なく見積もって約3h/day(21h/week)で発生するのだろう。そうすると狭義の意味で可処分時間というのは、36h/week。1日平均1時間程度の残業が発生する職場であれば、さらに自由時間は減る。
歳を重ねる家庭でパートナーとの協業というケースもあるが、家計を支えるという点で、一部の資産家を除いて、労働に従事することとなる。そんな僕らに抗えぬ自由な時間を奪っていく労働時間というものについて、どう向き合うかはとても重要なことのように思う。ある人はいやいや働き、ある人は活き活きと働く。この差は大きい。人生の中で、実に12万時間超のウェイトを仕事関連の時間が占めるのだから( (365 – 120休日)/年 ✕ 11h/日 ✕ 45年間 とした場合で)。しかも、比較的健康体な時期に。
だから、仕事の選択は人生の数ある選択の中でも重要な選択の一つである。気の入らない仕事や会社を選ぶことほどくだらないことはない。そういう仕事に就くと、プライベートでも気の抜けた状況や根拠のない将来不安を抱いたりということもままある。逆も真なり、仕事が楽しめるから、プライベートもうまくいくなんてことも往々にしてある。タイムカードを打刻した瞬間からon/offが切り替わるマシンのように人間は残念ながらできておらず、仕事もプライベートも互いに補完しあう関係性にあるように思う。
では、どのような仕事に人は気持ちが入るのか?
個の裁量とチームの秩序だと僕は考えており、僕の役割は個々に仕事をアサインして任せることと、チームメイトが一定の法の下に規律を遵守して公平性ある自治をチーム内に形成することが、チームリーダーとして留意していかなければならないポイントだと考えている。例えば、DMsでは各部署が日報、週報、月報という形で振り返りを行ってもらっているが、これは時代遅れな個人管理のためのものではなく、3ヶ月前、半年前、1年前と比較して自分たちの改善によってどれだけチームの労働生産性が高まったかを振り返るものである。失敗を咎めず、足踏みすることに叱咤激励をする。僕らが此処に集う意義は、社会を一歩も二歩も前へ前進させることなのだから。
心に火を灯し、前に進もう。僕はそれを全力でこれからも応援していきたい。